第五章 赤い雪


一九三三年の秋、佐野学と鍋山貞親が獄中で転向した。天皇制を認め、共産主義を放棄すると宣言した。その波は全国に及んだ。逮捕された者が次々と転向し、転向した者が仲間の名を出した。

朴の北海道網は残った。分散セル構造が機能した。一つのセルは五人以下。隣のセルの存在を知らない。一つが潰れても、隣は残った。

しかし無傷ではなかった。末端のセルが検挙された。連絡員が検番への暴行容疑で逮捕された。酔った検番が朝鮮人労働者の妻を侮辱し、連絡員が殴った。政治犯ではなく刑事犯だった。しかし取調べで文書が見つかった。「炭鉱機械に詳しい朝鮮語話者」という記述があった。

木村鉄雄は日本人だった。しかし朴が組織した朝鮮人労働者たちは、木村が朝鮮語を理解することを知っていた。その一人が書いた文書だった。

連絡員は暴行罪で二年の刑を受けた。朴は助けなかった。助ければ組織が露出する。翌朝、朴はいつも通り坑口に並び、つるはしを振った。


一九三四年の夏、二風谷カネトが夕張に来た。

アイヌだった。沙流川の上流の集落から出稼ぎに来ていた。集落には祖父の代まで鮭を獲る川があった。旧土人保護法で川は「国有地」になり、鮭漁は禁じられ、代わりに与えられた農地は痩せた土地だった。カネトの父はその農地を耕したが、食えなかった。カネトは炭鉱に来た。

大柄な男で、坑内の力仕事を黙々とこなした。日本語を話したが、ときどき聞き慣れない言葉が混じった。アイヌ語だった。

カネトは朝鮮人労働者たちと馬が合った。カネトもまた、日本人でありながら日本人として扱われていない者だった。

朴はカネトを勉強会に誘った。カネトは来た。賃金の計算を聞き、頷いた。質問はしなかった。二度目の後、カネトが言った。

「俺の爺さんも同じことを言っていた。取られている、と」

土地を取られた者の記憶だった。朝鮮人とは違う歴史を持ち、同じ場所に立っている者だった。


一九三八年二月、夕張炭鉱の坑口が閉じられた。

労働者が閉じたのではなかった。経営側が閉じた。Black Monday以降の不況で出炭量を三割削減する決定が下り、二つの坑道が閉鎖され、四百人が解雇された。解雇された者の半分以上が朝鮮人だった。

二風谷カネトは解雇されなかった。カネトは日本人だった。しかしカネトは、解雇された朝鮮人労働者たちの名前を一人ずつ覚えていた。

「木村さん」とカネトが朴に言った。飯場の裏手、雪の積もった薪小屋の前だった。「あの人たちは、どこへ行く」

「行く場所はない」と朴は言った。

カネトは黙った。大きな手で、薪の一本を握っていた。握り方に力がこもっていた。


蜂起は朴の計画ではなかった。

二月末、美唄の炭鉱で解雇された労働者たちが坑口を占拠した。赤平でも同じことが起きた。夕張では、カネトが朴に相談する前に、若い労働者たちが飯場で決起を宣言した。

朴は止めなかった。止められなかった。怒りはすでに朴の手を離れていた。朴が六年間かけて教えた賃金の計算——なぜ手取りが少ないのか、どこに消えたのか——が、その答えを知った者たちの手足を動かしていた。

しかし朴が教えたのは計算であって、武装ではなかった。

三月一日の朝、夕張・美唄・赤平の三つの炭鉱で、労働者が一斉に坑口を封鎖した。日の丸ではなく赤旗が立った。雪の中に赤い布が翻った。後にこの蜂起が「赤い雪」と呼ばれるのは、そのためだった。

朝の気温は氷点下十二度だった。坑口から石炭の粉塵の匂いが上がっていた。鶴嘴の柄を握る手が赤くなっていた。誰かがドラム缶で焚火を起こした。鉄の匂いと煙の匂いが雪の空気に混じった。

カネトは夕張の坑口にいた。朴もいた。朴は赤旗を持たなかった。後方にいて、連絡を取り、人を配置した。カネトは坑口の前に立ち、経営側との交渉窓口になった。アイヌの大男が赤旗の下に立つ姿は、新聞には載らなかったが、労働者たちの記憶には残った。

二日目の午後、経営側の代理人が坑口の前に来た。カネトが前に出た。解雇の撤回と賃金の回復を、日本語で伝えた。代理人は首を横に振った。カネトの声が大きくなった。日本語が途切れ、聞き慣れない音が混じった。一瞬だった。カネトは口を閉じ、日本語に戻した。

朴は後方でそれを聞いていた。喉の奥まで上がってきて、日本語に変わって出ていくもの。朴だけのものではなかった。


鎮圧は三日で来た。

三月四日の朝、帝国陸軍第七師団の二個大隊が札幌から出動し、夕張を包囲した。美唄と赤平はその前に崩壊していた。美唄ではダイナマイトが暴発し、二人が死んだ。赤平では軍が威嚇射撃をし、坑口が四時間で空いた。組織がなかった。指導者がいなかった。怒りだけでは三日も保たなかった。

夕張は五日間持った。朴のセル構造が機能したからだった。食糧の手配、見張りの交代、交渉のタイミング——朴が坑内の休憩時間に教えたことが、蜂起の現場で使われた。

しかし五日が限界だった。弾薬がなかった。武器は鶴嘴と採掘用のダイナマイトだけだった。軍は催涙弾を使い、坑口を包囲し、水と食糧を断った。

六日目の朝、カネトが朴のところに来た。

「降りろと言っている」

「降りなければ」

「撃つと言っている」

朴は坑口の外を見た。雪の上に軍の靴跡が並んでいた。整然とした足跡だった。

「降りよう」と朴は言った。

カネトは頷いた。赤旗を畳んだ。朴はその手を見ていた。旗を畳む手は、薪を握っていたときと同じ力のこもり方をしていた。


鎮圧の後、検挙が始まった。

朴は逮捕されなかった。木村鉄雄は勉強会の主催者だったが、蜂起の首謀者としては立件できなかった。朴の名前は労働者たちの供述に出てこなかった。セル構造が機能した。誰も「木村が命じた」とは言わなかった。朴が命じていなかったからだった。

カネトは逮捕された。坑口に立ち、赤旗を持ち、交渉窓口になった男は、隠れようがなかった。カネトは抵抗しなかった。連行される前に朴の方を見た。何かを言おうとした。しかし言わなかった。

朴は坑口の前に立って、カネトが護送車に乗せられるのを見ていた。雪はまだ残っていた。赤旗は誰かが回収したが、旗竿を立てていた穴が雪に開いたままだった。

その夜、朴は飯場で一人だった。隣の布団は空だった。カネトの布団だった。朴は帆布の小袋を枕の下から取り出し、開かずに手の中で持っていた。

カネトの声が浮かんだ。「取られている、と」。

朴は小袋を枕の下に戻し、目を閉じた。


鬼頭誠一郎は、廊下を歩いていた。

一九三八年三月、東京・内務省特別高等課の庁舎。赤い雪の鎮圧後、特高内部でも粛清が始まっていた。北海道の左翼組織を十年間見逃していた責任を問う声が、上層部から降ってきた。

鬼頭は報告書を抱えて三階の廊下を歩いていた。廊下は長く、窓が片側にあり、もう片側に扉が並んでいた。扉はすべて閉じていた。

一つの部屋から、音が聞こえていた。

声ではなかった。声になる前の音だった。何かが机に当たる音。椅子が軋む音。それから、短い叫びのようなもの。日本語ではなかった。

鬼頭がその扉の前を通ったとき、音が止んだ。

鬼頭の足音を聞いたのだろう。上官が通ることを知って、取調官が手を止めた。鬼頭が通り過ぎれば、音は再開する。鬼頭はそれを知っていた。

鬼頭は歩調を変えなかった。表情を変えなかった。扉の前を通り過ぎた。

音が再開した。

鬼頭は廊下の突き当たりまで歩き、階段を降りた。自分の机に戻り、報告書の続きを書いた。報告書の内容は、北海道の労働組合の組織構造に関するものだった。赤い雪の事後分析ではなかった。鬼頭は赤い雪の担当ではなかった。

鬼頭の方眼紙は胸ポケットにあった。「木村鉄雄」の名前の下に、新しい線が伸びていた。北海道の炭鉱と、東京の配給所の間に、点線が引かれていた。しかしそれは報告書には書かなかった。


鬼頭は、逮捕令状の手続きを遅らせていた。

赤い雪の首謀者リストに、「木村鉄雄」の名前を加える提案が、北海道庁警察部から上がっていた。証拠は薄かった。勉強会の主催者ではあるが、武装蜂起の指示を出した証拠はない。しかし、特高内部の空気は「疑わしきは逮捕」に傾いていた。

鬼頭は提案を受け取り、自分の机の引き出しに入れた。「証拠の補強が必要」と口頭で伝えた。官僚的な手続き論だった。反対ではなかった。しかし前に進めなかった。

鬼頭が引き出しを閉めるとき、令状の紙の下に別の文書が見えた。「天皇の統治上の機能について(昭和十二年秋)」と書かれた見出しだった。鬼頭の字ではなかった。内部回覧の文書だった。

鬼頭の手が、引き出しの縁の上で止まった。指先が令状の端に触れたまま、動かなかった。目が見出しの一点に留まり、視線が紙面の他の部分に移らなかった。廊下を人が通る音がした。鬼頭は目を上げなかった。

鬼頭はその見出しを二秒ほど見ていた。統治の機能。鬼頭自身がかつて同じ問いを立てたことがあった。天皇制を感情や忠誠の問題ではなく、統治の技術として分析すれば、それは代替可能な装置だった。代替可能であることと、代替すべきであることは違う。しかし代替可能であるという認識は、一度持てば消えなかった。

鬼頭は引き出しを閉めた。

鬼頭が令状を遅らせた理由は、本人にもはっきりしなかった。朴への同情ではなかった。鬼頭に同情という機能はなかった。

三つの層があった。表層には戦術的理由——木村を泳がせれば、組織全体が見える。中層には鏡像的認識——木村の中に、自分と同じ「体制を内側から見ている者」を感じていた。深層には、名づけようのない好奇心——この男はどこまで行くのか。

鬼頭はどの層にも名前をつけなかった。令状を引き出しに入れ、報告書を書き続けた。


朴は、大阪に向かった。

夕張はもう安全ではなかった。木村鉄雄の名前は特高のリストに載っているだろう。北海道のセルは半壊していた。カネトは獄中にいた。

赤い雪は失敗だった。自然発生的な蜂起は、また失敗した。一九二三年のアナーキスト蜂起と同じだった。組織がなければ保たない。武器がなければ勝てない。軍に勝つには、軍の一部が寝返る必要がある。

朴は列車の窓に額を寄せていた。窓の外を雪景色が流れていた。北海道の雪は白かった。赤い旗は畳まれ、穴だけが残った。

大阪には、朴がまだ使っていないルートがあった。港湾の朝鮮人労働者のネットワーク。そして、海軍の不満分子がいるはずの呉は、大阪から近かった。

函館の連絡員に、一つだけ伝言を残した。北海道に滞在していた中国人の客人にも、南へ移るよう伝えてほしい、と。客人の名前は言わなかった。連絡員も聞かなかった。

客人は三日後に発った、と後から聞いた。台湾訛りの標準語を話す男だった。炭鉱の争議現場で農民の顔を数えるように見ていた、と連絡員は言った。

朴永哲は四十三歳になっていた。木村鉄雄は四十一歳だった。二つの名前を背負ったまま、南へ向かった。


大阪に着いたのは、一九三八年の春の終わりだった。

港湾の倉庫街には、朝鮮人労働者たちが固まって暮らす一画があった。天保山の埋立地と、その裏手の長屋だった。夕張から流れてきた者が何人かいた。赤い雪の後、北海道にいられなくなった者たちだった。朴は彼らの顔を知っていたが、大阪では木村商会の出張員だった。

朴は港湾の仕事を手伝いながら、ネットワークの地図を描いた。頭の中だけに。紙には何も書かなかった。

大阪の港は夕張の炭鉱とは違った。物が動いていた。ドイツ東洋艦隊向けの機械部品が神戸を経由してシンガポールに送られていた。ドイツ語の船荷証券が、朝鮮人の沖仲仕の手を通り過ぎていった。帝国の経済は、見えない管で世界と繋がっていた。朴はその管の形を観察した。

三ヶ月かけて、呉への接触ルートを探した。

直接は無理だった。呉鎮守府は軍港であり、軍機保護法の下にあった。朴が足を踏み入れれば、木村鉄雄の偽装は一日で剥がれる。間に人を挟む必要があった。

大阪と呉を行き来する在日朝鮮人の行商人がいた。金物と日用品を担いで瀬戸内の港を回る男だった。行商人は呉の海員組合の非公式な集まりに出入りしていた。水兵や下士官が、給料日の後に安い酒を買いに来る場だった。

朴は行商人に文書を託した。最初の文書は、何でもないものだった。各港の物価比較の表。次の文書は、海軍内部の賃金体系と昇進の仕組みをまとめたものだった。夕張で朴が炭鉱労働者に教えた賃金計算と、同じ方法だった。

返事が来るまで、四ヶ月かかった。行商人が持ち帰ったのは、紙切れ一枚だった。「機関科の者が読んだ。もう一部ほしいと言っている」

朴はもう一部を作り、行商人に渡した。呉への管が、一本できた。細い管だった。


十一

行商人の名は、朴には知らせなかった。

知らせる必要がなかった。名前を持たない管のほうが、壊れにくかった。夕張のセル構造が教えた原則だった。名前は露出する。機能は残る。

一九三九年の春、呉から二通目の返事が来た。

行商人が持ち帰ったのは、石鹸包みの中に折り込まれた紙だった。「機関科の者が、大阪に行く用件がある。会えるかどうか聞いている」

朴は翌日、天保山の波止場の近くの食堂で、行商人と会った。食堂には瀬戸内の魚の煮付けの匂いがあった。朴は魚を頼まなかった。番茶を一杯頼み、行商人の話を聞いた。

機関科の下士官だった。朴の文書を読んだのは彼だが、最初に求めたのは別の者らしかった。文書を読ませた者の名前は、行商人も知らなかった。機関科の下士官は、その者の伝書係だった。

「会う」と朴は言った。

「場所は?」

「ここでいい。一週間後の同じ時刻に」

行商人は頷いた。番茶の残りを飲んだ。席を立つ前に言った。

「先方は海軍の者です。慎重に」

「わかっている」と朴は言った。

一週間後、食堂に来たのは、三十代半ばの男だった。制服ではなかった。岡山縞の木綿の着物に股引き。港湾作業員の格好だった。髪は短く、顔の日焼けが首まで続いていた。海の男の皮膚だった。

男は朴の向かいに座った。名乗らなかった。朴も名乗らなかった。

「先に読んだのは私ではない」と男は言った。「私は話を聞いてくれる者のところに、先生の文書を持っていく係です」

「聞いてくれる者とは」

「航空の人間です。艦隊派ではない」

朴は番茶を一口飲んだ。KR世界の海軍内部の断層を、朴は大阪に来てから三ヶ月かけて調べていた。艦隊派——巨砲主義、戦艦中心、条約派との闘争で予算を食いつぶす。航空派——新興勢力、空母と航空機、予算の奪い合いで艦隊派と対立している。対立の軸は思想ではなかった。金だった。

「航空の人間が、なぜ私の文書を欲しがる」

「賃金の話が書いてあった。昇進の仕組みが書いてあった。航空の技術者は、艦隊の砲術士より給与が低い。旧来の序列が変わっていないから。その問いを、誰かが紙に書いて出したのを、初めて見たと言っていた」

夕張の炭鉱で朴が労働者に教えた計算だった。賃金はどこに消えたのか。帳簿のどこに、取られた金が記録されているのか。炭鉱でも海軍でも、問いの形は同じだった。

「続けられますか」と男は言った。

「管を太くすることはできる。ただし時間がかかる」

「急ぎません」

「あなたの名前を聞いていいか」

男は答えなかった。首の日焼けが動いた。何かを飲み込んだような動きだった。

「先生の名前も聞きません。このほうがいいでしょう」

朴は頷いた。

男は立ち上がる前に、小さな包みを朴の前に置いた。包み紙の中に、紙が一枚入っていた。朴が広げると、呉の港の図だった。手描きだったが、正確だった。埠頭の番号、倉庫の位置、潮汐の時刻の表。余白に、符丁が三つ書いてあった。

「この符丁を出せば、呉の何所かに案内してもらえます。先生が行く必要はありませんが、使いを送ることはできる」

男は立ち上がり、食堂を出た。

朴は図を見ていた。呉の港。大阪からは蒸気船で半日の距離だった。

海軍の内部で、艦隊派と航空派が予算を奪い合っていた。ボリシェヴィキ側につく者がいるとすれば、思想からではなかった。艦隊派に削られた予算を、別の経路で確保しようとする者だった。派閥の論理が、偶然に朴の管と接続した。

朴は図を折り、外套の内ポケットに入れた。帆布の小袋の隣に収まった。

食堂を出ると、大阪の港の風が来た。煤と潮と機械油の匂いだった。北海道の雪の匂いとは違う空気だった。しかし管は繋がっていた。夕張から大阪へ、大阪から呉へ。細い管が、一本ずつ増えていた。