第七章 名簿


一九四〇年の春、内戦が始まった。

始まりは宣戦布告ではなかった。大阪のゼネストが全市に拡大し、工場が労働者の自主管理下に入り、警察が排除され、軍が出動できなくなった時点で、戦争はすでに始まっていた。

三月七日、大阪砲兵工廠の労働者三千人が正門を封鎖した。工廠には小銃弾の製造ラインと野砲の組立工場があった。守備隊の兵士百二十名のうち、四十名が労働者側に付いた。残りは武器を置いて営門を出た。発砲はなかった。

同日午後、呉の叛乱艦隊が瀬戸内海東部へ移動した。駆逐艦六隻と軽巡洋艦一隻。当初の三隻から、佐世保の駆逐艦二隻と舞鶴の駆逐艦一隻、そして舞鶴の軽巡洋艦「龍田」が合流し、膠着の半年間で倍増していた。大阪湾の入口を塞ぎ、東京政権の海上輸送を遮断した。

三月十二日、京都の学生と労働者が市庁舎を占拠した。京都守備隊は動かなかった。隊長は窓の外の群衆を見て、電話の受話器を置いた。

大阪の市中では、変化が形になって見えていた。

ドイツ製の商品が消えて半年が経っていた。薬局の棚からドイツ語のラベルが消え、代わりに国産品と大陸産が並んでいた。値段の差が縮まっていた。戦前は値段が張ったドイツ製の化学染料が消え、繊維工場は国産品と中国大陸からの輸入染料を混ぜて使うようになっていた。色の発色が変わった。春物の着物の色が以前と違う、と気づいた者がいた。

自転車の修理屋の前に「ゴム不可」の張り紙が出た。タイヤのゴムが入らない。マレー半島からの輸送が変わっていた。Weltkrieg前はドイツ商社が仲介していたルートだった。そのルートが途絶え、英国経由の代替ルートも英国参戦で止まった。代わりのルートを誰が持っているか、修理屋には見えなかった。

電機屋では、ドイツ製の受信機の修理部品が品切れだった。ラジオの受信機は多くがドイツ製かその設計をもとにした製品だった。部品が入らないので、壊れれば放置するしかなかった。店主は国産部品で代用できるか試みたが、精度が合わなかった。「ドイツの機械はドイツの部品で動く仕組みになっている」と店主は言った。

Weltkriegは大阪の台所に、工場に、路地に、静かに入り込んでいた。

朴は大阪にいた。港湾の倉庫を拠点にしていた。函館から持ち込んだ帆布の小袋は、もう棚ではなく作戦机の引き出しにあった。堺の帳面は使い尽くされていた。すべての符丁が一人の人間に結びつき、その人間が別の人間に結びつき、北海道から九州まで、地下の根が地上に出ていた。

朴は設計者だった。二十年かけて設計した機械が動き始めていた。

しかし機械は設計者の意図通りには動かなかった。

一つは文字通りの機械だった。

大阪砲兵工廠を掌握した三月七日の夜、工廠の内部を歩いた労働者の一人が報告を持ってきた。製造ラインに問題がある、という報告だった。小銃の銃身を研磨するドイツ製の旋盤が、三台のうち一台止まっていた。Weltkrieg開戦以来、部品の補給が途絶えていた。修理書はドイツ語で書かれていた。読める者が工廠にいなかった。

残りの二台で生産を続ければ、一日の生産量は二割減になる、と技術者上がりの労働者が計算した。戦争が長引けば影響が出る。

別の工廠では、砲弾の信管部品を作るプレス機が同じ状況だった。ドイツ製の型材が底をつき始めていた。型材は精度が要求されたので、国産では規格が合わなかった。型材を手加工で補う方法はあったが、一個あたりの時間が四倍になった。

朴は報告を聞きながら地図を見ていた。前線、石炭、武器。三つの数字が同時に動いていた。


最初の戦闘は名古屋で起きた。

四月三日、東京政権の忠誠部隊——近衛師団の一部と横須賀鎮守府の陸戦隊——が名古屋を経由して西進を開始した。大阪を奪還する作戦だった。兵力は約八千名。戦車はなかった。戦車は満洲に配備されており、内地にはほとんど残っていなかった。

名古屋の紡績工場地帯で、労働者の武装民兵と衝突した。民兵の武器は砲兵工廠から運び出した小銃と、建設現場のダイナマイトだった。訓練はなかった。朴のセル構造は情報と組織を伝えたが、戦闘技術は伝えなかった。

四月三日の午後二時から午後六時まで、四時間の戦闘。民兵側に十一人の死者が出た。忠誠部隊側は二人が死亡し、三十名以上が離脱した。離脱した兵士たちは武器を持ったまま消えた。翌日、その一部が民兵側に合流した。

朴は大阪で報告を読んだ。死者の名前が並んでいた。十一人のうち、七人が朝鮮人だった。名古屋の紡績工場で働いていた者たちだった。

朴の手が報告書の上で止まった。

名前を読んでいた。朝鮮語の名前——本名で死んだ者と、日本語の名前——通名で死んだ者がいた。通名の者は、紡績工場で日本人として働いていた者たちだった。日本人として生き、革命のために死に、死んでもまだ日本語の名前で記録されていた。

朴の喉の奥で、音が動いた。死んだ者の本名を口に出そうとした。朝鮮語が舌の先まで来た。

朴はその音を飲み込んだ。日本語で「名簿を更新しろ」と指示を出した。

別の報告書が重なっていた。名古屋の戦闘後、民兵側が回収した忠誠部隊の装備の一覧だった。

小銃が四十七丁。うち三十二丁は国産の三八式歩兵銃。九丁は中国大陸から持ち帰ったもので、中に一丁だけドイツ製のモーゼルが混じっていた。弾薬箱を開けると、三種類の弾薬が混在していた。三八式用、ドイツ用、それから民兵が砲兵工廠で作った急造品。規格が三種類。互換性はなかった。

名古屋の民兵の班長が「弾を選り分けるのに十分かかった」と書いていた。戦闘の最中の十分間だった。


四月中旬、前線は東海道沿いで膠着した。

忠誠部隊は名古屋から先に進めなかった。鉄道労働者の集団的不服従が東海道線を止めていた。線路は破壊されていなかった。労働者が動かなかっただけだった。機関車があり、石炭があり、線路があったが、人間が動かなければ列車は走らない。

人民側も東進できなかった。武器が足りなかった。砲兵工廠の小銃は生産できたが、砲弾の原料が不足していた。弾薬なしに軍と正面衝突すれば、赤い雪と同じ結果になる。朴はそれを知っていた。

砲弾の原料は、Weltkrieg前まではドイツからの輸入品に依存していた部分があった。ミッテルオイローパ経済圏を経由して日本に入ってきた銅と錫。呉の工廠が使っていた合金の配合表は、ドイツ製の規格に合わせて作られていた。Weltkrieg開戦後、その流れが止まった。国産材料で配合を組み直すことはできたが、砲弾の強度が落ちた。落ちた強度は数字で出ていた。工廠の技術者が書いた報告書の数字だった。

名古屋の戦闘で民兵側が撃った小銃の一部は、不発だった。工廠で急造した弾薬だった。弾薬箱に「試製品・精度要確認」と書かれていた。民兵の一人は、そのメモを読んでから銃に弾を込めた。

代わりに、朴は二つのことを命じた。

一つは、九州の炭田地帯の掌握。石炭を押さえれば、東京側のエネルギーが干上がる。北海道の炭鉱はすでに人民側の影響下にあった。赤い雪で壊れたセルの一部が復活していた。カネトは獄中だったが、カネトが育てた若い労働者たちが動いていた。

もう一つは、海軍の分裂の加速。呉の叛乱艦隊に加え、佐世保と舞鶴の下士官グループに連絡を送った。海軍は上と下で別の国だった。士官は財閥の子弟。下士官は漁村の若者。同じ艦に乗りながら、同じ飯を食っていなかった。

五月、九州の三池炭鉱が人民側に入った。筑豊炭田は五月末。北海道の夕張と美唄は六月。石炭の流れが変わった。

上海から中国語の新聞が大阪に届いていた。月に三回、密輸ルートで来る紙束だった。フランス・コミューンの官報と、英国の戦況報告の翻訳が含まれていた。Weltkriegがどう動いているか、日本の新聞は書かなかった。上海の紙が書いていた。読める者が倉庫の二階で音読した。朴は聞きながら炭鉱の数字を見ていた。ヨーロッパが燃えている間、東アジアで何ができるか。その計算の材料として、二つの情報が同じ机の上にあった。


天皇の問題が噴出したのは、内戦の二ヶ月目だった。

朴の方針は明確だった。天皇制の廃止。天皇は帝国主義の象徴であり、植民地支配の法的根拠であり、朝鮮人に対する支配を正当化した制度の頂点だった。革命が天皇を残すなら、それは革命ではなかった。

朴は人民評議会——革命勢力の暫定指導機関——でそう主張した。

野坂参三が反対した。

野坂はフランス・コミューンで十年を過ごした男だった。サンディカリストの組織運営を学び、現実主義を身につけて帰国していた。野坂の反対は思想的なものではなかった。計算だった。

野坂はWeltkriegの推移を知っていた。上海経由のルートでパリからの連絡が届いていた。フランス・コミューンは欧州の戦場に正規軍の大半を動員していた。日本への支援は「道義的支持」にとどまる——野坂はその現実を受け取っていた。在日のコミューン工作員は二名だった。資金と情報は提供できる。しかし銃は出せない。

朴はその情報を知らなかった。後から知った。

「天皇を廃止すれば、まだ中立を保っている国内勢力が敵に回る。農民は天皇に忠誠を持っている。天皇を否定すれば、農村が統制派の側につく。内戦に勝てなくなる」

朴は反論した。

「天皇を残せば、革命の正統性が崩壊する。我々は何のために戦っているのか。天皇制の温存を革命と呼ぶなら、帝国の看板を替えただけだ」

徳田球一が間に入った。老闘士だった。獄中から解放されたばかりで、頬がこけ、歯が何本か欠けていた。しかし声はまだ太かった。

「二人とも正しい。だからどちらかが譲らなければならない」


人民評議会で投票が行われた。天皇の処遇について、三つの案が出された。

第一案(朴): 天皇制の即時廃止。天皇の退位と市民としての処遇。 第二案(野坂): 天皇の象徴化。政治権力の剥奪、憲法上の象徴としての残置。 第三案(徳田): 決定の延期。内戦終結まで天皇の地位を凍結。

投票結果は明白だった。第二案が過半数を取った。朴の第一案を支持したのは、朝鮮人労働者の代表と、一部の理論派だけだった。

朴は投票結果を聞いたとき、机の上の書類を整えていた。手は動いていた。顔には何も出なかった。ただ、書類を揃える指先に、一枚分の遅れがあった。

投票の後、朝鮮人労働者の代表の一人が朴に近づいた。代表は朝鮮語で話しかけた。

「パク・トンジ——」

同志、という呼びかけだった。朴が振り向く前に、野坂が「木村さん、次の議題を」と日本語で声をかけた。朴は日本語で応じた。朝鮮語の呼びかけは、議場の空気の中に吸い込まれて消えた。

その夜、朴は倉庫の二階で一人だった。窓の外に大阪の灯が見えた。灯火管制で暗かった。遠くで砲声が聞こえた——名古屋方面の前線だった。

朴は帆布の小袋を開いた。金廷民の紙片はまだ入っていた。紙はもう黄ばんでいた。符丁は読めたが、意味はもうなかった。すべての名前が人間に変わり、人間が組織に変わり、組織が革命に変わっていた。

紙の最後のページに、金廷民の字で「日本の運動と朝鮮の運動は別物ではない」と書かれていた。朴はその字を見た。

天皇制が残る。植民地支配の法的根拠が、形を変えて残る。日本人の革命家たちは、天皇を殺さないことを選んだ。朝鮮人の朴は、その決定に従った。

朴は小袋の口を絞った。紐が指に食い込んだ。それだけの力が、要った。


特高本部の廊下は、昼間から人が消えていた。

一九四〇年の五月。大阪のゼネストから二ヶ月が経っていた。東京の特高本部では、上の階から順に机が空になっていた。部長が出勤しなくなり、課長が行方不明になり、係長が別の部署に転属した。残ったのは実務の者だけだった。鬼頭誠一郎は実務の者だった。

鬼頭は自分の机に座っていた。窓の外、丸の内のビル街が見えた。空は晴れていた。

ビル街の一角に、ドイツ商会の看板があった。正確には、看板の跡だった。去年の秋に撤去されたが、外壁の塗装が色褪せ、看板があった形の輪郭が残っていた。そこだけ色が違った。四角い薄い影のようなものが、煉瓦の壁に残っていた。

隣のビルに英国系の商社が入っていた。こちらも閉まっていた。英国はコミューン側で参戦しており、日本の「局外中立」が何を意味するか、双方の外交官が慎重に言葉を選んでいた。看板は外されていなかった。ただ、出入りする人間がいなかった。

丸の内は変わっていた。しかし変わり方は静かだった。破壊ではなく、撤退だった。人が去り、机が空になり、看板の痕跡だけが壁に残る。鬼頭は特高の内側でその形を見てきた。外の街でも同じことが起きていた。

机の上に方眼紙があった。

一枚の紙に、「木村鉄雄」と書かれていた。その名前から、細い線が伸びていた。線は人名に結びついていた。人名は場所に結びついていた。場所は日付に結びついていた。鬼頭が四年かけて引いてきた線だった。神戸、大阪、函館、名古屋。点が増えるほど、線は密になった。密な線の中心に、「木村鉄雄」があった。

新しい報告書が届いていた。内閣情報局の経路で来た文書だった。人民評議会の投票結果——天皇の象徴化——が内部回覧されていた。通常、そういう文書は特高には回ってこない。しかし今は通常ではなかった。本部の上が空になり、情報の仕分けをする者がいなくなっていた。あらゆる文書が、残った実務の者の机に積まれた。

鬼頭は文書を読んだ。

天皇の象徴化。政治権力の剥奪。憲法上の象徴としての残置。

鬼頭はかつて、引き出しに一冊の文書を持っていた——「天皇の統治上の機能について」。特高の仕事の合間に、鬼頭が自分で書いたものだった。天皇制は装置である、という分析から始まる文書だった。装置は目的のために設計される。設計が変われば、装置の形も変わる。代替不可能なものなど、統治の機構にはない。

その文書は今、引き出しにない。鬼頭は昨年の秋に焼いた。証拠ではなかった。思想でもなかった。ただ、持ち続ける理由がなくなっていた。

人民評議会の投票文書を机の端に置いた。

方眼紙を手に取った。「木村鉄雄」の名前を見た。

木村が投票を主導したのかどうか、文書には書かれていなかった。しかし鬼頭には読めた。線の密度から読めた。名古屋の戦闘、九州の炭鉱、呉の叛乱艦隊との連絡——鬼頭が四年で引いた線のすべてが、大阪の港湾倉庫へ向かっていた。投票を設計した者は、その倉庫にいる。

装置が代替されようとしていた。

鬼頭の分析は正しかった。帝国の統治機構は代替可能だった。天皇は象徴に変わる。変わっても国家は動く。装置は回り続ける。

鬼頭はペンを持った。方眼紙の「木村鉄雄」の名前の横に、何かを書こうとした。

書かなかった。

ペンを置いた。

窓の外を見た。丸の内のビル街は変わっていなかった。建物は建っていた。街は動いていた。路面電車が線路の上を走っていた。車掌が窓から顔を出していた。乗客が吊り革を持っていた。

鬼頭は文書を揃えた。投票結果の文書を、他の書類と同じ綴りに入れた。方眼紙を折り、上着の内ポケットに入れた。

机の上が空になった。

廊下の向こうで、誰かが電話を切る音がした。それきり、音はなかった。