第十一章 金日成
一
金日成は朝鮮語で夢を見た。
いつもそうだった。満洲の山中で抗日パルチザンを率いていた頃から、夢の言語は朝鮮語だった。目が覚めれば日本語を話し、中国語で命令を出し、ロシア語の無線を聴いたが、夢の中では母の声が朝鮮語で呼びかけた。
一九四四年の冬、金日成は京城にいた。
連邦朝鮮議政院の庁舎——旧朝鮮総督府の建物だった。菊の紋章は外されていたが、建物の設計は変わっていなかった。廊下の天井は高く、窓は大きく、一歩ごとに靴音が反響した。日本人がこの半島を支配するために建てた建物の中で、金日成は朝鮮の行政を動かしていた。
金日成は三十二歳だった。満洲のパルチザンから連邦議政院の副議長になるまで、六年かかった。六年の間に、日本は壊れて別のものになり、朝鮮は植民地から連邦構成国になった。独立ではなかった。自治だった。違いを理解しない者は多かったが、金日成は理解していた。
一の二
同じ冬、二風谷では雪が積もっていた。
カネトは役場の前に立っていた。沙流川沿いの小さな役場だった。旧・北海道庁の出先機関が、連邦発足後に「蝦夷地構成区」の行政支所に名前を変えていた。看板の字が変わっただけだった。建物は同じだった。窓口の男も同じ顔だった。
カネトは夕張の炭鉱で三年働き、二風谷に帰った。獄中で一年半を過ごしていた。帰ってきたとき、村に残っていた親族は四人だった。集落の東側の土地には新しい標識が立っていた。「国有地」と日本語で書かれた木の杭だった。
その杭を抜こうとは、カネトは思わなかった。
役場に来たのは、土地返還の申請書があると聞いたからだった。新しい連邦政府が、先住の民の土地を返還する制度を作ったという話が来ていた。大阪から届いた通達を、支所の係員が読み上げた。「蝦夷地に先住する民族の共同利用地について、申請に基づき返還の審査を行う」。日本語だった。
カネトは申請書を受け取った。
A4の用紙が三枚あった。氏名。住所。「先住の根拠となる事実の記述」。「申請地の範囲の記述」。すべて日本語の欄だった。
係員が言った。「記入は日本語でお願いします」
カネトはその用紙を持ち帰った。囲炉裏の前に座り、用紙を広げた。
氏名の欄に、カネトは自分の名前を書こうとした。カネトの名前は文字では書かれてこなかった。集落では音で呼び、音で覚えた。「カネト」は夕張の炭鉱で呼ばれた呼び名で、本来の名は違った。しかしその名を書く欄には日本語しかなかった。カタカナで書くしかなかった。「カネト」と書いた。
「先住の根拠となる事実の記述」の欄は四行あった。
カネトはしばらくその欄を見ていた。沙流川のほとりで生まれたこと。父がここで魚を捕っていたこと。祖父が川の名を教えてくれたこと。その川の名はアイヌ語だった。サルは湿原を意味した。しかしその意味を書く欄はなかった。日本語で「沙流川」と書くしかなかった。沙流川という字は日本語の当て字で、アイヌ語の音に後から形を与えたものだった。
カネトは日本語で書いた。アイヌ語で書く欄はなかった。書いた後、控えを受け取った。
夏に申請した書類の返答は、半年たっても来なかった。
外では雪が降り続けていた。沙流川は凍っていなかった。水は音を立てて流れていた。川はどこにも属していなかった。しかし申請書には「国有地」と書かれていた。カネトが生まれる前から、川はそう書かれ続けていた。
夕張の勉強会で、木村鉄雄という男が言葉を使っていた。権利、解放、自決。どれも日本語だった。カネトはその言葉を覚えていたが、沙流川の名前を申請書に書いたとき、その言葉は手の中に来なかった。控えの紙は囲炉裏の傍に置いたままだった。
翌朝、カネトは山に入った。鉈と、干した鹿肉を持った。控えの紙は囲炉裏に残した。
二
木村鉄雄という男を、金日成は最初、信じなかった。
一九四二年の秋、内戦が終わった直後に、大阪で初めて会った。連邦構想の説明を受けるためだった。金日成は平壌から京城へ、京城から下関へ、下関から大阪へと移動した。船と列車の中で、金日成は日本語を話し続けた。連邦の公用語は日本語だった。
倉庫の二階の部屋で、木村鉄雄は地図を広げていた。日本列島と朝鮮半島と台湾と満洲が一枚の紙に載っていた。木村は日本語で連邦の構造を説明した。各構成国の自治権。評議会の議決方法。軍事統合のモデル。
金日成は聞きながら、木村の日本語を聞いていた。
完璧だった。訛りがなかった。文法に隙がなかった。金日成の日本語には満洲の影があった。母音が少し丸く、子音が少し硬い。朝鮮語の発声器官が、日本語の中で時折顔を出した。しかし木村鉄雄の日本語には、そういう影がなかった。
「あなたは本当に朝鮮人ですか」
金日成はそう聞いた。朝鮮語で聞いた。
木村鉄雄の手が止まった。一瞬——本当に短い一瞬だったが——木村の目が変わった。地図から金日成の顔に移り、何かを計っている目になった。
木村は日本語で答えた。「連邦の中では、民族は問題ではない」
金日成はその答えを記憶した。問いに答えていなかった。
三
木村鉄雄が朴永哲であることを、金日成は後になって知った。
名前を知ったとき、金日成は満洲時代の記憶を辿った。朴永哲。ウラジオストク出身の工作員。ボリシェヴィキ系。日本に潜入して消息を絶った男。パルチザンの情報網に名前だけが残っていた。名前と、一つの評判——「日本語しか話さない朝鮮人」。
名前がわかっても、金日成の疑念は消えなかった。むしろ深くなった。
朴は朝鮮のために戦っていた。二十年間、偽名で、地下で、朝鮮人を組織し、日本帝国を内側から壊した。その功績を金日成は否定しなかった。
しかし朴は朝鮮語で革命をしなかった。
朴が書いた文書はすべて日本語だった。朴が設計した組織は日本語で動いていた。朴が構想した連邦は、日本語を共通語としていた。朴は朝鮮人を解放するために戦い、解放の言語として日本語を選んだ。
金日成には、それが理解できなかった。
金日成の朝鮮語は完全ではなかった。満洲で育ち、中国語に囲まれ、ロシア語を学んだ。平壌の方言とも慶尚道の言葉とも違う、間島の朝鮮語を話した。「ハムニダ」が「ハムメダ」になり、中国語の語順が混じることがあった。しかし金日成は、朝鮮語で命令を出し、朝鮮語で演説し、朝鮮語で土地改革の布告を書いた。不完全な朝鮮語だったが、自分の言葉だった。
朴の日本語は完璧だった。完璧であるがゆえに、金日成には借りものに見えた。
四
一九四四年の秋、金日成は朴に報告を持っていった。
土地改革の数字だった。朝鮮南部の地主から接収した農地の面積、再分配の進捗、農民の反応。金日成はこの数字を丁寧に準備した。数字は武器だった。朴が数字を信頼する人間であることを、金日成は知っていた。
報告を読み上げている間、金日成は朴を観察していた。朴は数字を聞きながら、何かを計算していた。数字の正確さだけではなかった。金日成の権力基盤がどこまで伸びているかを、数字から読み取ろうとしていた。
報告が終わったとき、朴が口を開いた。
「それは——」
朴は言いかけて、やめた。
金日成は待った。しかし朴は続けなかった。何を言おうとしたのか、金日成にはわかっていた。「それは多すぎる」。金日成の権力が大きくなりすぎていることへの警告だった。
しかし朴はそれを言わなかった。言えなかった。朴は金日成を道具として必要としていた。南方作戦には朝鮮旅団が必要だった。朝鮮旅団は金日成の兵だった。
金日成は去り際に、朴の部屋を一度見回した。壁の地図。机の上の草稿。引き出しの帆布の小袋——少しだけ口が覗いていた。
部屋の中に、朝鮮語で書かれたものは一つもなかった。
同じ頃、平壌では教科書が届いていた。
チェ・ミョンスクが箱を受け取ったのは午前の授業が始まる前だった。廊下に置かれた木箱を、用務員の男が台車で運んできた。「先生、これ、どこに」と男が言った。日本語だった。チェは「教室に」と言った。やはり日本語だった。
箱には三十二冊入っていた。『初等朝鮮語読本』第三版。表紙は薄い緑で、ハングルで題名が書かれていた。チェは一冊を手に取った。ページを繰った。
本文はハングルだった。活字は小さく、紙は薄かった。印刷のインクが少し滲んでいた。チェは奥付を開いた。
発行所の名前と住所は日本語で書かれていた。印刷年月日も日本語だった。発行者の氏名——ハン・ドンチョルという名前が、カタカナで「ハン・ドンチョル」と表記されていた。ハングルで書いていない理由はわからなかった。あるいは印刷所が対応していなかったのかもしれなかった。
チェは奥付を閉じた。教科書を十冊ずつ三つに分けて机の上に積んだ。
一時間目の生徒が入ってきた。十二人だった。一番後ろの席のヒョンジュンが、机の上の積み本を見て「先生、それ何ですか」と聞いた。朝鮮語だった。ただし語尾が少し日本語の音に引っ張られていた。
「教科書」とチェは答えた。朝鮮語で。
教科書を配り始めた。ヒョンジュンは受け取った教科書を開き、少ししてから言った。「読めます。でも書くのが」
「わかってる」とチェは言った。
書く練習に入った。黒板にハングルで一文書いた。「나는 여기에 있다」——私はここにいる。生徒たちが黒板を写した。ヒョンジュンの手が止まっているのが見えた。チェは近づかなかった。少しして、ヒョンジュンは自分で書き始めた。字は崩れていたが、書いた。
チェは黒板を見ていた。
授業が終わったとき、黒板には三つの文が残っていた。それを消しながら、チェは教科書の奥付のことを、もう一度考えた。ハングルで書かれた本の奥付が、日本語だった。本は朝鮮語だった。奥付は日本語だった。境界はそういうところにあった。
五
金日成には三つの権力基盤があった。
第一に、満洲パルチザン時代の軍事的威信。これは経歴だった。朝鮮人が武器を持って日本帝国と戦った、という物語。物語の中で金日成は英雄だった。実際の戦闘は小規模で、勝利よりも敗走の方が多かったが、物語は事実より強かった。
第二に、土地改革による農民の支持。金日成は朝鮮南部で地主の土地を接収し、小作農に分配した。農民は金日成に感謝した。感謝は忠誠に変わった。忠誠は票に変わった。朴のような知識人は数字を信頼したが、農民は土地を信頼した。
第三に、連邦の中での朝鮮議政院の制度的権限。朴が設計した連邦制度は、構成国に高い自治権を与えていた。金日成はその自治権を使って、連邦の枠内で独自の行政機構を築いた。朴が設計した箱の中で、金日成は朴の手の届かないものを積み上げていた。
三つの基盤はすべて、朴から独立していた。朴は金日成を道具と思っていた。金日成も朴を道具と思っていた。二人は互いを道具として使いながら、互いの道具であることに気づいていた。
六
一九四五年の正月、金日成は京城の旧総督府の窓から外を見た。
通りを朝鮮人が歩いていた。日本語で話している者もいた。朝鮮語で話している者もいた。子供たちは両方を混ぜて話していた。学校ではまだ日本語が主要科目だった。連邦の公文書は日本語だった。裁判所の判決文は日本語だった。
朝鮮は解放されていた。しかし解放された朝鮮で、権利は日本語の窓口で申請された。土地の登記は日本語で書かれた。税の申告は日本語の用紙に記入された。
金日成は窓を閉めた。
机に戻り、朝鮮語で書類を書いた。議政院の内部文書——朝鮮語教育の拡充計画だった。小学校の教科書を朝鮮語で書き直す。中学校で朝鮮語を必修にする。公文書の二言語化を推進する。五年計画だった。
金日成はこの計画を朴に報告しなかった。報告する必要がなかった。教育は構成国の自治事項だった。朴が設計した連邦の中で、金日成は朴が設計しなかったものを作っていた。
朝鮮語の教科書を。朝鮮語で読める権利を。朴が日本語で解放した民族に、金日成は朝鮮語を返そうとしていた。
金日成は三十三歳になっていた。夢の中の母の声は、まだ朝鮮語だった。
その日の午後、チェは最後の授業を終えた。
教室に残ったのは五分だった。黒板を消し、椅子を机の下に戻した。窓の外は暗くなっていた。一月の平壌は早く暗くなった。
ヒョンジュンが書いた文字がノートに残っていた。チェはそのノートを閉じて棚に戻した。崩れた字だったが、書いた。それで十分だった。
チェは教室の鍵を閉めた。廊下に出ると、他の教師がすれ違いに「お疲れ様です」と言った。日本語だった。チェも「お疲れ様です」と言った。日本語だった。
廊下の電球が一つ、切れかけていた。点いたり消えたりを繰り返していた。チェはそれを見上げてから、外に出た。