ゼロ章 信仰から計算へ
一
一九一七年三月、ウラジオストク。
港の裏通りの食堂で、朴永哲は男を待っていた。窓の外では三月の風が砂利を巻き上げ、港湾労働者たちが首を縮めて歩いていた。食堂にはキャベツのスープの匂いが漂い、奥の席でロシア人の老夫婦が何かを低い声で言い争っていた。
男は約束の時刻から二十分遅れて現れた。
金廷民は朴の記憶よりもずっと痩せていた。七年前にウラジオストクを発ったときにはまだ頬に肉があった。今は頬骨が浮き、外套が肩から余って垂れている。食堂の扉を開けたとき、冷気と一緒に咳が入ってきた。乾いた、長い咳だった。
朴は立ち上がった。金廷民は手で制して、向かいの椅子に座った。朝鮮語だった。この食堂ではロシア語が普通で、奥の老夫婦がロシア語で言い争う声の中に、二人の朝鮮語は沈んだ。聞き取れる者はいなかっただろう。金廷民はそれを確認するように一度だけ店内を見回してから、朴に向き直った。
「大きくなった」
それが最初の言葉だった。朴が十五歳のとき以来の再会だった。金廷民は四十一歳になっていた。
金廷民はスープを頼み、半分も飲まなかった。匙を置くと外套の内側に手を入れ、帆布の小袋を取り出した。手の甲に青い血管が浮いていた。
「中を見ろ」
朴は袋の口を開けた。紐で束ねられた紙片があった。何枚かはインクが滲み、文字が判読しにくくなっていた。朝鮮語と日本語が混在している。別の紙には符丁らしい記号が列をなしていた。一番下に、封をした書簡があった。
「堺利彦への紹介状だ」と金廷民は言った。「売文社を訪ねろ。符丁の読み方は口頭で教える。書き残すな」
朴は紙片を袋に戻し、符丁の読み方を聞いた。金廷民は三度繰り返した。朴は一度も書き留めなかった。
スープが冷めていく間に、金廷民は協力者の名を挙げた。函館に一人。東京に二人。大阪に一人。すべて符丁で呼ばれる者たちだった。名前は本人に会うまでわからない。
「これで全部だ」
金廷民は匙を取り上げ、冷めたスープを一口飲んだ。それからテーブルの上の朴の手を見た。二十二歳の手だった。
「日本の運動と朝鮮の運動は別物ではない」
金廷民はそう言った。言い聞かせるような口調ではなかった。確認するような声だった。十七年間、堺利彦と文通を続けた男が、その十七年の結論を一文にした声だった。
朴は頷いた。
金廷民は席を立った。外套の埃を払い、食堂の扉を開けた。三月の風がまた砂利を巻き上げた。金廷民は振り返らずに通りを歩いていった。足取りは遅かった。
それが朴が金廷民を見た最後だった。翌月、金廷民は京城で検挙された。一九二〇年に獄中で死んだ。死因は肺結核と記録されている。
朴の手元には帆布の小袋が残った。
二
革命の報せは、港から来た。
一九一七年十月、ウラジオストクの朝鮮人街にも動揺が走った。ペトログラードで何かが起きた。何が起きたのかは、人によって違う話になった。ツァーリの軍隊が寝返った。労働者が宮殿を占拠した。新しい政府ができた。朴が港湾で働く朝鮮人労働者たちから聞いたのは、そういう断片だった。
断片はやがて一つの言葉に収斂した。ボリシェヴィキ。
朴はロシア語が読めた。ウラジオストクで育った者にとって、それは生存の技術だった。市場ではロシア語、家では朝鮮語、港では身振り。七歳のときから三つのあいだを歩いてきた。どの言葉で考えているかと問われたら、朴は黙っただろう。問いの意味がわからないのではなく、考えるという行為に色がついていることに、まだ気づいていなかった。
ビラを読んだ。集会に出た。集会の裏に回った。一九一八年、シベリア出兵が始まると、朴は赤軍パルチザンの隊列にいた。二十三歳だった。銃を撃ったことがあるかと聞かれ、ないと答えた。翌週には撃っていた。
パルチザンの冬営地は沿海州の山中にあった。夜は焚火を囲み、ロシア人の古参が低い声で歌を歌った。朴は歌詞を覚え、意味を尋ねた。朝鮮人の兵士が三人いた。彼らとは朝鮮語で話し、ロシア人の指揮官にはロシア語で報告した。通訳ではなかった。二つの言葉が一つの身体に同居しているだけだった。朴はそれを特別なこととは思わなかった。
三
一九一九年三月一日、京城で独立宣言が読み上げられたとき、朴はウラジオストクにいた。
三日後、ウラジオストクの朝鮮人居住区——開척里——にもその波は届いた。数百人が通りに出た。太極旗を持つ者がいた。独立万歳を叫ぶ声が、港の汽笛に重なった。
朴はその群衆の縁に立っていた。
デモは半日で終わった。ロシアの地方当局は最初、黙認していた。しかし日本領事館からの抗議が入り、夕方には朝鮮人居住区の主だった者たちが連行された。
朴が見たのは翌日のことだった。
連行された者たちのうち、地主の息子は釈放された。家族が領事館に金を届けた。小作農の三人はシベリアの内陸へ送られた。そのうちの一人は朴と同じ港湾で働いていた男だった。前の週、同じビラを一緒に読んでいた。男には妻がいた。妻は夫の名を叫びながら領事館の前に立った。朝鮮語で叫んでいた。誰も振り向かなかった。
民族という旗の下で、同じ通りに立った。同じ声を上げた。翌日、一方は家に帰り、一方は凍土へ消えた。旗は同じだった。立っていた場所が違った。
朴は開척里の自分の部屋に戻った。靴を脱ぎ、棚から帆布の小袋を下ろした。金廷民の紙片を開き、符丁を一つずつ確認した。それから、ロシア語のビラを一枚取り上げて、裏に日本語で短い文章を書いた。函館の協力者宛の手紙だった。
書き終えると、朴は紙を折り、帆布の小袋に入れた。匂いがした。金廷民の外套の匂いが、まだかすかに残っていた。朴は袋の口を閉じ、棚に戻した。
四
一九二一年六月、自由市。
朝鮮人独立軍の陣営に、武装解除の命令が来た。
命令を出したのは、ボリシェヴィキの残存パルチザンだった。ロシア内戦はボリシェヴィキの敗北に終わっていた。正規の赤軍は消滅し、極東シベリアに残っているのは白軍の支配が及ばない山間部に散った小集団だけだった。彼らはまだ赤い星を帽子につけ、まだ命令を出す権利があると信じていた。
朝鮮人部隊は従わなかった。武装解除の命令が来たとき、彼らは言った——我々は赤軍の同盟者であって部下ではない。
銃声は明け方に始まった。
朴はそのとき陣営の外にいた。連絡のために別の村に出ていた。戻ったとき、陣営にはまだ煙の匂いが残っていた。地面に倒れた者たちの何人かを朴は知っていた。一緒にビラを刷った者がいた。冬営地でロシア語の歌を教えてくれた者がいた。あの焚火の隣に座っていた顔が、泥の上で横を向いていた。
彼らを殺したのは、帽子に赤い星をつけた者たちだった。
朴はその場に長くはいなかった。遺体を一人ずつ確認し、名前がわかる者の名を紙に書いた。生存者を探した。見つからなかった。朴は紙を折り、帆布の小袋に入れた。書いた名前の何人かは符丁だった。本名を知らないまま、朴は彼らの死を記録した。
翌日、朴は自由市を離れた。
道は乾いていた。六月のシベリアは日が長く、夜になっても空が完全には暗くならなかった。朴は歩いた。民族の旗は金持ちを守り、革命の旗は仲間を殺した。二つの旗が二つの場所で裏切った。
それでも朴は歩く方向を変えなかった。
振り返ったところで、死者は立ち上がらない。旗の代わりに使えるものを探すだけだった。
朴は歩き続けた。帆布の小袋が胸の内ポケットで揺れていた。
五
一九二二年秋、ベルリン近郊。
革命後のフランス——仏コミューン——の黙認のもと、ロシア革命に敗れて欧州に散ったボリシェヴィキの亡命者たちが小さな大会を開いていた。「極東民族解放」を議題に掲げた集まりだった。参加者は五十人ほど。会場はベルリン郊外の労働者文化会館で、窓硝子が一枚割れたまま新聞紙で塞いであった。
朴はこの大会で、二人の日本人と話した。
片山潜は六十三歳だった。旧コミンテルンの極東委員という肩書を持っていたが、コミンテルンそのものがほとんど瓦解していた。それでも片山は委員の名刺を持ち歩いていた。背は低く、白い顎鬚を短く刈り込み、話すときに相手の目を真っ直ぐ見る癖があった。
山川均は四十二歳。理論家だった。ベルリンに来たのは大会のためではなく、欧州の左翼出版物を収集するためだった。大会のことを聞きつけて顔を出した。痩せた長身で、眼鏡の奥の目がよく動いた。
三人は大会の二日目の夜、会場の隅の机で向かい合った。片山がロシア語で話し始め、山川がドイツ語の資料を引き、朴は日本語で返した。三つの言語が机の上で交差した。通訳は必要なかった。三人ともが、互いの言葉を聴き取れた。
片山が最初に論点を出した。
「サンディカリスムは人間の自律性への信頼だ。レーニンは労働者を信頼していない。政治意識は外部から注入しなければならない、と。横浜の荷役夫たちは、誰かに注入されたか。されていない。自分で考え、自分で動いた」
朴は答えた。
「日本の労働者には自律性を信頼する余裕がある。少なくとも市民だから。朝鮮人は人間として扱われていない。構造的な抑圧には、構造的な組織で対抗しなければならない」
山川が眼鏡を押し上げた。
「片山さんが言うサンディカリスムは正しい人間観を持っているが、間違った戦略を持っている。朴さんのボリシェヴィズムは正しい戦略を持っているかもしれないが、危険な人間観を持っている」
片山が紙煙草に火をつけた。煙が天井の低い部屋に溜まった。
「では聞く。君の構造的組織は、自由市で何をした」
朴の手が机の上で止まった。
片山は続けた。六十三歳の目が、二十七歳の目を見ていた。
「君は正しいかもしれない。しかし、勝った後の世界で、人間はどうなる」
朴は答えなかった。自由市の名前が出たとき、焚火の隣の顔が一瞬浮かんだ。朴は水の入った杯を手に取り、一口飲み、杯を机に戻した。
大会の最終日、朴は「日本工作」の任務を受けた。堺利彦の紹介状を懐に持ったまま、五年間使わずにいた紹介状を、朴はようやく使う先を得た。
会議が終わった。
朴は椅子を引いて立ち上がった。片山と山川は机に向かい合ったまま、何かを話し続けていた。朴は部屋を出た。
振り返らなかった。
廊下は暗く、割れた窓から夜気が流れ込んでいた。ベルリンの秋の冷気だった。割れた窓の向こうに、街灯に照らされた木が一本あった。白い小さな花をつけていた。桜に似ていたが、桜ではなかった。
朴は外套の襟を立て、階段を降りた。帆布の小袋は内ポケットにあった。紙片はまだ金廷民の匂いがした。
朴永哲は二十七歳だった。日本に向かう。